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2009年12月08日




●フルメタル部屋の片付けその1 / 散らかっていない部屋はよく訓練された汚部屋だ

一週間ほどブログを放置していたが、その間ひたすら部屋の片づけをしていた。

ガスガンやら電動ガンを分解していている最中に、マガジンのバルブが外した瞬間に「ぴよっ」と飛び出して部屋の中で行方不明になったり、メカボックスを開けた電動ガンのスプリングガイドが勢いよく射出されて、絶妙のバランスで本棚の横に積んであった本の山を直撃して見事に崩したり、はたまたニッパーやノギスと同じ布団で寝て起きると額や肩に切り傷が出来ていたり、部屋に半田付け作業のスペースがないので布団の上にトマス・ピンチョン著『重力の虹』 の乗せてその上で FETスイッチを製作して掛け布団を焦がしそうになったり、そんなことの積み重ねをしてフラストレーションがたまっていたある日のこと、正確にはちょうど一週間前の火曜日、「そろそろ部屋の掃除やなー」となんとなく「部屋の掃除」と検索してみて驚いた。

世の中には「汚部屋サイト」なるものが大量にあるのだ。そしてそんな汚部屋を片付けてゆく様をレポートしたブログやWEBページは大抵が読んでいて面白いのだ。
当初は部屋の掃除のあっと驚く画期的な手法はないものかと(そんなものはあるわけない)検索したつもりがいつの間にか汚部屋と汚部屋に悪戦苦闘する人々とともに笑い泣きほっこりしていた。
カレーを作ったはずの鍋の中身が真っ白になり、ホワイトシチューを作ったはずの鍋が緑一色になったりしている画像を見て「そらないわwww」と笑ったり、部屋の片付けに悪戦苦闘しながら大量発生する虫と戦う様、汚部屋から発掘される数々の戦利品を見て笑ったりしんみりしたりしているうちにふと気づいた。
今まで私の部屋は「散らかっている」としか思っていなかったけど、これはどちらかというと「限りなく汚部屋に近い」のではないだろうか。私の部屋は有機的な汚れはないものの、趣味の物と衣服が大量に散らばっている。
うおー平ヤスリどこ行った?謎の人物の顔Tシャツどこにある?KTCの精密ドライバーどこ行った?microSD変換アダプターどこ消えた?などと物を探すのは日常のひとコマである。
時々は足の踏み場がなくなりそうな状態になった時に対症療法としてとりあえず形ばかりの片づけをしているせいか階層構造は成していないけど、何かのタガが外れてしまえばネットにあるような汚部屋同様になってしまう事も大いにありうる。

しばらくは「汚部屋サイト」を見てけらけら笑っていた私も、「汚部屋脱出支援サイト」なるものを読み始めてその問題の根の深さを知ることになった。
一人暮らし、あるいは独身者の「汚部屋」サイトはある程度自虐的な笑いの方向で「こんなに汚いです!」「こんな虫いました!」「こんなのが出てきました!」と明るいトーンなのだが、専業主婦の「汚部屋サイト」や「汚部屋脱出支援サイト」の異様に暗く切羽詰った、ADD(注意欠陥障害)を筆頭とした精神医学の各種用語が飛び交うトーンにかなりの衝撃を受けた。
「今日も片付けられなかった死にたい」「夫に無言で責められるから意地でも片付けてやらない」「掃除が出来ないのでいっそ家に火をつけたい」「こんな私を夫は死ねば許してくれるでしょうか?」と真昼間の汚部屋からブログに書き込む主婦はあまりにも気の毒だ。たかが家の片付けや掃除が出来ない事がこれだけ人を追い詰めてしまうのだ。
今になってはじめて知った事実なのだが、引っ越してきた当初は輝くばかりにきれいだった自らの家が気付けば汚部屋や汚家と化してしまい、家族が荒んだ生活を送ることになってしまうような事例はそれなりに多いようだ。
外で働く夫は自分の家の汚さを思い出して帰るのが嫌になり、妻は自分を責めて必要以上に攻撃的になり、家庭はピリピリした空気に包まれて喧嘩が絶えない。
あまりの部屋の汚さと片付けられなさに自己嫌悪に陥るだけでなく、治療の対象として精神科に通ってみたり、自殺未遂をしたり、離婚までしたりする人が結構な数いるようで、そういった「片付けられない人」はだんだん年をとるにつれて「散らかった部屋」→「汚部屋」→「ゴミ屋敷」と収拾がつかなくなっているパターンが多いようだ
「ゴミ屋敷」やら「汚部屋」問題ってのは「ひきこもり問題」同様になかなか表に出にくいなかなかに根が深い問題なのかもしれないことがそんな汚部屋サイトや汚部屋脱出支援サイトを読んでいるとだんだんとわかってくる。
そして、何よりも問題なのは片付けられない当人以上に、片付けられない妻や夫を持つ人の苦しみが尋常じゃないのである。自分ではどうしようもない問題を見守り続けることの辛さはどれほどのものだろうか?
そう思うと同時に何かが私の中で「ぶちっ」と切れた。ちょうど一週間前の火曜日、私は猛烈に部屋を片付け始めた。わけのわからない怒りにも似た感情が私の中を駆け巡っていた。
「何だこの部屋は!!まるでそびえたつクソだ!!それとも努力してこうなったのか!!」
「やるからには徹底的に綺麗にしてやる!!泣いたり笑ったり出来なくしてやる!!」

そしてそれから一週間、毎日仕事から帰ってご飯を食べると黙々と朝方まで部屋を片付け、夜にラーメン大会に行く時はトランクに売り飛ばす本を積み、土曜日に遊びに行く時も車に服や靴を積んで売り飛ばし、掃除と片付けの先達に教えを請うて生まれて初めての掃除ウェポン「クイックルワイパー」を買った。
一週間のほとんどを片付けと掃除のことしか考えずに過ごした。寝ても起きても掃除ばかりしていた。勢いがついた私は職場のデスク周りまで片付けと大掃除をした。
そして一週間後、当初は「部屋の片付け」だった目標は「部屋の大掃除と廃品処分、模様替え付き」という遥かに上方修正された形となって完了していた。扉を外して棚として使っていた押入れに扉をつけて再び押入れとして使うようにした。
あるべきものがあるべきところに収まり、使いたいものは脊髄反射的に取り出せるあり方、自分のものが自分の秩序で待機している様は美しい。
ああ、片付けや掃除って楽しいなぁと生まれてはじめた思ったかもしれない。

今まで私は部屋の片付けや掃除が苦手だと思っていた。性格的にそういうことに向いていないのだと。
むしろ適度に散らかった部屋のほうが生活感があって落ち着く。片づけをするのは神経質でそういうことにこだわらないほうが大らかでいい。などと自分を正当化していたことすらあったかもしれない。
しかし今になって思えば、部屋の片付けや掃除というのは単純に性格のひとつの方向性ではなく、生き方の問題のある種の一側面である。何も手を加えなければ物事はどんどんカオスに向かってゆくされるのが最近の科学の主流である。だからといって部屋がカオスであるのが正しい姿ではない。
部屋が秩序ある状態に保たれているのは、常に不断のちょっとした努力の賜物なのだと。

全ての部屋の片づけを終え、全ての引き出しの整頓を終え、全ての捨てるものと売り飛ばすものを分別し終えた後に部屋を見回した時は、自分が一皮向けてまったく違う人間に生まれ変わった気分すらしたものだ。

いやー部屋綺麗になったわー気持ち良いわーさて爪でも切るかー爪切りはここー、サッ(つめきりを出す音)、パチパチ、パラパラ(爪を切ってゴミ箱に捨てる音)、ぽそっ(爪きりをその辺に置く音)
って、まてーそんな所に置いたらあかんー出した所に片付けるー!!
とぜんぜん変わっていない自分を発見するのであった。私の場合はちょっと油断するとすぐに部屋が散らかりそうだ。

多くの人の場合はそうではないけど、私の場合は特にこれを肝に銘じておかなければいけないと思った。
「散らかった部屋は汚部屋だ!!散らかっていない部屋はよく訓練された汚部屋だ!!(違)」


次回、部屋の片付け着手編、乞うご期待

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